哲学的音楽、フォーク・ロックの出現
ティン・パン・アレイの音楽が売れる一方、ティーンアイドルに飽き足らない学生たちのあいだで、抗議の歌(プロテストソング)の人気が高まっていきます。
その代表格と言えるのが、62年の名曲「風に吹かれて」で一気にその名を知られたボブ・ディランでした。哲学的な難解な歌詞と、社会に媚びない姿勢はティーン・エイジャーの心を捕らえ、そのカリスマ性は一気に高まっていきました。
彼は、黒人問題や反戦など、社会に対して真っ向から対決する姿勢を見せます。これが60年代初頭の大きなムーブメントとなっていき、このようなフォーク・ソングはプロテスト・ソング(抗議の歌)と呼ばれるようになります。
この流れは、その後のフォーク・ソングのアーティストたちに引き継がれていくのですが、そこには一つ足りないものがありました。ビートでした。
フォーク自体はもともとカントリーと並んで牧歌的な音楽だったため、ロックンロールの洗礼を受けたティーン・エイジャーにとって、たとえ歌詞が反社会性を持っていたとしてもそれだけでは足りなかったのです。
ボブ・ディランは65年、「追憶のハイウェイ61」でフォーク・ギターをエレクトリック・ギターに持ちかえ、その "ビート" に挑戦します。このことは当初、賛否両論となり、彼自身ステージ場でファンから非難されたりもしました。
しかし、そのことがきっかけで、フォーク・ソングはフォーク・ロックへと進化を遂げることになったのです。
ロックの金字塔、ビートルズの登場
ボブ・ディランがビートに挑戦しても、それは一部の熱狂的な支持を受けただけで、大半のティーン・エイジャーにとってはまだまだ不満が残りました。
しかし、それを満たしてくれるグループが突如として英国から現れます。ビートルズです。
彼らの作り上げた音楽はティーン・エイジャーの要求をすべて満たすものでした。結果、世界中に受け入れられ、熱狂的な支持を得ることになります。
それは、64年の春全米チャートの1位から5位までをビートルズの曲が独占したという事実
1位「キャント・バイ・ミー・ラヴ」
2位「ツイスト・アンド・シャウト」
3位「シー・ラヴズ・ユー」
4位「抱きしめたい」
5位「プリーズ・プリーズ・ミー」
からも、その当時の彼らの人気のすごさが計り知れると思います。
彼らの曲は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーという2人の天才によるオリジナル曲を含んでおり、カバー曲であっても違う曲であるかのようにアレンジされていました。その音楽理論においては、現代ポップス音楽の基礎を築いたとさえ言われています。
また、彼らの髪型やファッションにおいても世界中に影響を与え、彼らのマッシュルーム・カットは不良の象徴として扱われました(←今考えると、信じられないことですが.....)。
ブリティッシュ=インヴェイジョン(英国の侵略)
ビートルズの成功により、彼らの住んでいた街リバプールは一躍バンドブームになりました。その小さな街から出てきたバンドは一応にリバプール・サウンドと呼ばれるようになります。
時を同じくして、ロンドンからもR&Bを取り入れたローリング・ストーンズ、三大ギタリストを排出したヤードバーズ、ギターを叩き壊したりドラム・セットを蹴り散らすといったパフォーマンスの元祖ハード・ロックのザ・フーなども同様に扱われました。
このリバプール・サウンドのなかでもローリング・ストーンズは、優等生的なビートルズに対抗し、ドラックや暴力といったものをイメージさせる "不良少年" といったイメージを前面に押し出しました。
また、元祖ハード・ロックのザ・フーは、ピート・タウンゼントによるギターの叩き壊しやキース・ムーンによるドラム・セットの蹴散らし等のパフォーマンスで、モッズのカリスマとして君臨します。
このように英国系のバンドが世界を制覇していく様はブリティッシュ・インヴェイジョン(英国の侵略)といわれ、60年代の中盤から後半にかけて世界中にその影響を与えていきました。
モータウンのソウル・ミュージック
ブリティッシュ・インヴェイジョン(英国の侵略)の嵐が吹き荒れる中、黒人音楽であったR&Bは、衰退の一途をたどっていきます。
しかし、デトロイトで設立されたモータウン・レコードがスティービー・ワンダーやシュープリームスで成功したことにより、アメリカの黒人音楽も白人音楽の要素を取り入れソウル・ミュージックという形で新しく生まれ変わり、アメリカでヒットを飛ばします。
このように、英国のバンドが世界を圧巻していくなか、このモータウンのみが唯一ブリティッシュ・インヴェイジョンに対抗することができていたといえるでしょう。
サイケデリックとウッドストック
1960年代後半になると、ヒッピーと呼ばれる若者たちが大量に登場し、ドラックによる幻覚世界を表現したサイケデリック・ロックが台頭してきました。彼らの文化は,マリファナやLSDを初めとするドラッグ文化でした。
音楽的にはドアーズのようにドラックによるトリップ体験を表現したり、ビートルズによる「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」やビーチ・ボーイズによる「ペット・サウンズ」等ライブでの再現不可能な実験的音楽へと発展していきます。
それはやがて、1969年8月ニュー=ヨーク郊外で4万人もの若者を動員した"ウッドストック・フェスティバル"においてその頂点を極めます。そこで人々は反戦・平等・友愛・ドラッグなどを語り、60年代の一大ムーブメントへと広がっていきました。今でもよく聴く[ラブ・アンド・ピース]という言葉はこのフェスティバルのとき生まれた言葉です。
このムーブメントは世界中に影響を与えて生きました。ヒッピーのライフ・スタイルは世界中の若い世代に支持されたため、社会自体も彼らの言動を無視できないようになりました。
