ロック音楽の歴史 オルタナティブ・ムーブメント

今までのあらゆるジャンルがそれぞれ築き上げてきたもの同士の出会い、衝突、葛藤からオルタナティブ・ロックは生まれてきました。

注)「オルタナティブ」とは、もともと "代用" といった意味でした。それがいつしか転用され、現在ではいろんなジャンルの要素を組み合わせたポピュラー音楽をそう呼ぶようになっています。

ヴェルヴェット・アンダーグランドに端を発し、70年代後半のパンク・ロック全盛、80年代のR.E.M等のガレージ・ロックへと続いたアンダーグラウンドのうねりは、ついにグランジ・ロックの大ブレイクへとつながっていくことになります。

その後の地を這うような重いそのサウンドはパール・ジャムとニルヴァーナによってグランジの頂点へと発展していき、この時期に登場したヒップ・ホップとポップ・チャートを二分することになっていきます。

この90年代以降も分岐しながらヒップ・ホップは発展していきますが、グランジのほうは「ニルヴァーナ」のボーカル、カート・コバーン(Kurt Cobain)の躁鬱による自殺によって90年代初頭に幕を閉じてしまいます。

ロック音楽の歴史 ロック音楽の原点回帰、ブリット・ポップ

ブリット・ポップとは、ブラーやオアシスを中心としたロンドンやマンチェスターを中心に発生したイギリスのポピュラー音楽ムーブメントであり、ビートルズから脈々と受け継がれるリバプール・サウンドの現代版と言えるでしょう。

ロック音楽の歴史 進化し続けるヘビィ・メタル

「ヘヴィ・メタル」という用語は、アメリカのビート作家であるウィリアム・バロウズが使い始め、ステッペン・ウルフの名曲「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」の中で、バイクを「へヴィ・メタル・サンダー」と例えたことから普及したと言われています。強烈なディストーション・サウンドとタイトで重いドラム、これにより「ヘヴィ・メタル」は完成しました。

ヘヴィ・メタル自体は80年代前半に始まり、80年代後半には「スラッシュ・メタル」や「LAメタル」がその中心でしたが、91年「メタリカ」により「Metallica」(通称ブラックアルバム)で方向性を大幅に転換しました。スピードを落として圧倒的な重量感のあるヘヴィネスとグルーヴを軸にする新たな激烈音楽体系を確立です。それは、「スラッシュ」や「LAメタル」は衰退させていくことになります。そして、このようなスタイルは後に”モダン・ヘヴィネス”と呼ばれるようになりました。

その後もヘビィ・メタル自体はブラック・メタル、デス・メタルなどとさらに分化を進み、メロディック・パワー・メタルなど次々にサブジャンルを生み続けていきます。

ロック音楽の歴史 女性アーティストの台頭

ポップ/R&B界にはたくさんの女性アーティストが生まれましたが、ことロック音楽に関してはほとんど無いというのが実情であり、不当な評価をされてきました。実際、60年代のジャニス・ジョップリン、70年代のキャロル・キングやケイト・ブッシュ、80年代のホイットニー・ヒューストン等数えるほどしか登場してきません。

しかし、90年代に入るとその情勢は一気に様変わりを見せるようになります。その直接の起爆剤となったのはマライア・キャリー、シェリル・クロウとアラニス・モリセットだったと言えます。

その後彼女たちの影響を受け、個性豊かな女性アーティストが多数登場してきました。また、ポップス・シーンにおいてもメガヒットを飛ばすアーティストたちが出てきます。ニューエイジ、俗にヒーリング・ミュージックと呼ばれるこの動きは、エンヤという女性アーティストの登場で一気にブームを巻き起こしていきます。

ロックの歴史 拡大するヒップホップ勢力

ヒップ・ホップは音楽という以上に、アート・ブレイクダンス・ファッションなど文化的な側面を示すものであり、ラップは音楽のジャンルであると言えます。また、ラップには必ずリズミカルに会話をするようなヴォーカルがありますが、ヒップ・ホップは純粋にインストゥルメンタルであるということもいえるでしょう。

西海岸ではラップスタイルの1つの象徴にまでなるGファンクというスタイルが勢力を伸ばし、東海岸では硬派でツッパったアティテュードこそがヒップホップだという考えを否定し、何でもありのやり方でラップ界に新しい風を吹き込んでいきました。

ロック音楽の歴史 ニュー・カントリー

カントリー・ミュージックの人気は、90年代初めにかつてないほど再燃してきました。みな一様にネオ・トラディショナルなバックグラウンドをもち、それぞれが70年代ロック音楽の要素を取り入れていたということが特徴してあげられます。若く、こざっぱりとした新参者たちがカントリー・ミュージックに台頭してきたため、後にはヤング・カントリーとも呼ばれるようになりました。

ロック音楽の歴史 アメリカのパンク革命

オルタナティブ・ロックが市民権を得るようになると、ウェスト・コーストから出てきたネオパンクが注目されるようになってきました。その中でもキッズに圧倒的な支持をされたのがグリーン・デイでした。その切ないメロディとポジティブな姿勢が支持された理由と言えるでしょう。

さらにグリーン・デイより、ハードなサウンドだったのがオフスプリングであり、この2大バンドを中心にメロディック・ハードコア(メロコア)が展開されていきます。これらは、70年代のパンク・ロックの "ネオ(=新しい)" スタイルであり、ロック音楽の原点回帰の一つとなりました。

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